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白黒ハッキリは必要?


僕の書く日記は、比較的長いものが多い。



「長すぎ」「何が言いたいのかわからない」「結論を先に言うべき」



と他店のセラピストから(やや皮肉を込めた)



善意のアドバイスを頂いたこともあります。



時々「小難しく回りくどい」日記を僕が書くのには理由があるのです。




それは、その時だけは、立ち止まって(ステイして)ほしいから。です。




例えば、X(Twitter)では、人々の耳目を集める刺激の強いニュースがオススメされます。



多くの方がご存じの通りインプレッションを基礎とする加点システムが存在し、



「Xのアルゴリズムに好かれた」投稿はますます多くの人に表示されるように設計されています。



炎上を企図して投稿される発言も多いのは、今に始まったことではありません。



それ自体は人の欲望によって駆動するものなので、簡単に歯止めがかかるものではないでしょう。



その現象自体はもう仕方がないものとしていったん放っておくとして・・・、



気にすべきなのは多くの話題が「二項対立」で語られることです。



「善か悪かで分ける」ことが多いと思うのです。



白黒はっきりさせたいと思うのは本能に直結していますし、



結論が出ないとモヤモヤしてしまいますよね。



でも、よくよく考えると正解があることなんて、ほとんどありません。



小学校のペーパーテストのようにはなっていないですね。



オトナは、正解のない課題に向き合うからオトナたりえるのかもしれません。



正解のない課題の襲来を避けることはできませんし、逃げてはダメな場面もしばしば訪れます。



あるいは答えのない「問い」を立てることが大切なことのようにも思います。



もちろんその問いは単純な二項対立的ではなく…。



例えば、旧いものと新しいものが混ざりあうような



中間的でグレーなものは総じて人を魅惑します。





_____。





では、あえて具体的な問い掛けをします。




「女性用風俗の利用は善か悪か」



「セラピストの語りは真か偽か」



「その関係は愛か欲望か」




これらの問いにフランクに応えることもできそうですが、




簡単な答えを用いるのは野暮でしょう。




きっとそんなに単純ではないはずだからです。




この日記を読むあなたにも、僕にも物語があるはずです。




ところで物語はファンタジーですか。




…またわけのわからん日記を書いて、と揶揄されそうです。




あお

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