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序・破・急




エンターテインメントのストーリーの多くは「三幕構成」です。



三幕とは「序・破・急」の構造を持ちます。



ギリシャ悲劇は、いわゆる「三幕モノ」の起源です。




序(発端)→破(中盤)→急(結末)



それぞれが意味するのは多くの場合、



”発端”では、(比喩的に)ある日常からの旅立ち(≒離陸)。



”中盤”では、混乱や混沌。



”結末”では日常の回復、または破滅後の秩序(≒着陸)




物語は順に展開するものの、最終的には落ち着くところに落ち着きます。



しかし、混沌を経験する前と後ではモノの在り方(捉え方)が変わるので、日常とのギャップが生じます。つまり、最終的には主人公は成長していたり、大きく転向していたりするのです。




ピーターパン(変質者)がウェンディのもとに突如現れ、一同はファンタジックな旅に繰り出すことになる。旅をするなか、スリリングなイベントなどを経た後、ウェンディと子どもたちは彼女たちの両親が待つ家に戻る。ウェンディは空の飛び方を忘れて、以前と同じ日常に戻るが、成長した彼女の目に映る「世界」は大きく変容していた。後、ウェンディは自身の子にその”世界体験”を伝える。子の成長を願って____。





これは、日本人の伝統的世界観である「ケガレ(日常の頽落)⇒ハレ(非日常の混沌)⇒ケ(日常の回復)」にも通じます。各地にお祭り(祝祭)などが伝承されている所以。日常と”ハレの日”の明確な切り分けです(民俗学)。




「序・破・急」の破に当たる混沌ないし非日常は、認知を強制的に歪ませます。




通常の意識状態と区別された「普段できないことができる意識状態」に連れ出します。




「破」を経て、こんなことができた、こんな感受性が生まれた(/思い出せた)という体験が「急」へのランディングを可能にします。つまり、舞い戻ってきた日常は、同じ世界のようでいて、全く違うものになるということです。





三幕構成中の混沌あるいは祝祭的なるものが「自分がどんな”世界”をどう生きているのか」が自明でなくなった状態(ジブン探し)から、分かる状態にシフトさせます。





何がきっかけになるかは予測できませんが、混沌を経て元々いた場所に再帰することで、自らの輪郭を取り戻す営みが必要です。そして、それが繰り返す日常の”気だるさ”へ抗う「力の回復の方法」だとも思うのです。





あお

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