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”商品”は自分自身という葛藤


もともと僕は一般企業で働く、いわゆるサラリーマンでした。




主として営業を、また、商品である設備のソフトやハードをメンテナンスしたりすることからキャリアがスタートしました。




要領のわるい不器用な社員であったと思いますが、約8年の勤めを通じて得られたものは多く、とてもかけがえのないものだったと振り返ります。




その後は、小さな会社を興し、自分で事業を営むようになりました。覚悟はしていましたが、自身の事業を営むことは孤独や無力感との闘いの日々でした。同時にステップアップの度に大きな充実感ももたらしてくれる素敵な経験も得られました。



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さて、僕は現在セラピストをしています。


上記の”仕事”経験とは異なり、”商品”は自分自身になりました。




この営みは、僕に葛藤を与え続けてきました。


「既に作られたモノ」と「自分自身」を取り扱うのでは趣が全く違います。




なぜなら、当然ですが個人としての「私」は人格を持ちます。


対して、サービス(/システム)は「私」の物格(商品)化を強います。




相容れがたい2つのプログラムが並行して走るので、混乱してしまいます。


人格がもたらす個人としての感情とサービスが要求するものは衝突しがちだからです。




また、翻って、一部の女性も(否、女性こそ)同じような混乱を体験するのではないかと想像します…。



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重要で、難しいテーマだと感じています。




私は今は下記のように考えて、結論を保留にしています。




サービス(/システム)を利用する価値は「安心・安全・便利」を得られること。


”物格化され商品的”に表示されたセラピストを選び、会う。(①)



その土台の上で実体として現れたセラピストと女性はその人格をいかんなく発揮し、人間くさい複雑な気持ちを発露し…交流する。(②)




相容れないようで①、②のギャップがむしろ調和をもたらす(こともある)ような気がしているのです。




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うむ、長くなりました。。



ん…?で、コノヒト結局何が言いたいの??


となりそうなのでここらへんにしちょきます





最後に一言だけ。




ぐるぐる考えずにマッサージしようぜヽ(^o^)丿ヒャッホーイ笑





あお(Ao)

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