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何者にもなれなくても


世には有資格者がいる。



医師、保育士、弁護士、電気工事士、整備士…



ある資格がなければ、その職には就けない、ある業務の取り扱いはできない。無免許では運転はできない。



このような取り決めになっています。





一方でセラピストはどうか。




無資格でなれます。




そういう意味では、セラピストはアーティストやアスリートと似ていると思っています。



(もちろん選考、面接、試験を経てセラピストになるという意味では、セラピストとて、一定のふるいにかけられている存在ではあります。)






活動環境においても、無規定な部分が多く自由度が高い反面、自己責任的な空気感がかなり強い。




端的に言えば、一生懸命やるやらないはその人次第。




セラピストがちゃらんぽらんに見えてしまうことがあるのも、半分納得的です。




自由業を志したからにはそういう宿命を負うものと理解しています。




実際、男性セラピストの半数以上は数か月で辞めてしまいます。




たとえ大成しても2年で引退。3年やればベテランで、5年やればレジェンドといった具合です。




一般的なスポーツ選手よりも短命です。




「第一線を走るいつも笑顔の彼ら」は蛍のように光って、いつの間にかその生涯を終えるのです。




自分の身ひとつを駆使して、自分で自分の存在理由を示します。




自分のことを見つけてもらいたい、知ってもらいたいと願うからです。




過剰さをわきまえながらも、




我こそは「性感テクのエンペラー」


我こそは「イチャ甘界の天使ofエンジェル」


我こそは「イケメン&筋肉の白馬に乗った征夷大将軍」


我こそは「アカデミー賞エロエロ爆笑部門受賞のエンターテナー」


我こそは「たった一人の唯一無二、天下無双のオンリーワンでナンバーワン真実はいつもひとつ!」



うんぬんかんぬん



(…まあ、いいや。笑)






セラピストというポジションをとった表現者としての発露の断片です。




”過剰”という文言を用いましたが、アーティストやアスリートはもともと「過剰」「異常」「異端」を肯定する世界の住人です。




彼らが日々何をアピールしているか、アクションしているかにも興味はひかれます。




ですが、それは「表層」に過ぎず、その背景からにじみ出る、彼らの人となりや”人生劇場”にこそ視点は向けられるべきだと思うのです。また(求められることは色々あるものの)その彼らのキャラクターとステージのワンシーンに惹かれ、価値を感じる方も多いのではないかと思います。




たとえストーリーが平凡でも、きれいでも、汚濁にまみれたものだとしても。







弁護士ではなくても言葉で人を守ることはできる




料理人ではなくても美味しい料理をふるまい




先生ではなくても教え導く覚悟は持てるのではないか




何者でもないけど、誰かの何かになれるかもしれない





無資格のならずものが奏でるのです。





あお


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