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10億円の価値


ある外国の街頭インタビューを見ました。



インタビューと言ってもインフルエンサーによるSNS投稿用の動画にあたると思います。




インタビュアーは、ノリノリで道行く人をつかまえて問う。




「キミに10億円をあげるよ、受け取りますか?」




道行く人は「おー、もちろん、ほしいね」と応じる。




続けて問う。



「もし、10億円受け取るとキミに明日は来ない、と言ったら、受け取りたい?」




答えは「NO、10億円いらない」となる_________。




インタビュアーは最後に


「よかったじゃん、キミには10億円にも勝る価値のある明日がある、おめでとう」




‐‐‐‐



(なるほどな…やや乱暴だけど、確かに「明日」にはすごい価値があるかも)


自分の「明日」と交換できるような大きな価値をもったものはあまりなさそうです。



明日とは、そのまま未来のことを指すでしょう。




一方で、「不安」という感情を考えるとき、不安とは”未然形”のものなので常に未来にあります。



それを考えたとき、値千金の明日を「不安」で埋めるのはそれだけで大損失なような気がしてきました。



これからは不安にとらわれそうなとき、このインタビューを思い出そうと思います。大丈夫、私には未規定な未来があって、それをエンジョイするしかないのだ。それでいいのだ。




お会いできるのを楽しみにしております。




それでいいのだ!




あお

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